電子書籍ケーススタディ 21
 Information at Your Fingertips
イースト株式会社 下川 和男

 ここ3年、「たまたま紙だった」というテーマで、各所で講演を行っている。紙面から画面へ、印刷からインターネットへの移行を解説する2時間ほどのセミナー資料の最後のほうに、「Information at Your Fingertips」というタイトルの一頁がある。そこには、今後、数年の間に、テレビとパソコンとインターネットが融合し、「パチンと指を鳴らすだけで」映画でも音楽でも新聞でも本でもマンガでも、自分の得たい情報が瞬時に手に入ると書いている。

Information at Your Fingertips(IAYF)とは
 IAYFは、マイクロソフト会長兼CSA(チーフ・ソフトウェア・アーキテクト)であるビル・ゲーツ氏が1990年秋、世界最大のコンピュータ展示会コムデックスのキーノート・スピーチで発表したコンセプトである。
 マイクロソフトは、数年ごとに会社のキャッチコピーを変えている。設立当初の70年代は、「We Set Standard」や「Microsoft Design」というものであった。We Set Standardは、BASICインタプリタでトップ企業となり、タンディー、NEC、東芝、松下、日立、富士通など当時のほとんどのパソコン・メーカが採用して、事実上の標準仕様、つまりデファクト・スタンダードになった際の広告で、私は、巨大なコンピュータ企業に果敢に挑む、マイクロソフトの技術力と販売力に強い衝撃を受けた。

 IAYFは1990年から1996年頃まで使われていたので、いちばん寿命の長いキャッチコピーである。その後、「Building a Digital_Nervous_System」、「Where Do You Want to Go Today?」などが登場した。
 手元に、「Information at Your Fingertips 2005」という60分のビデオテープがある。1994年秋のコムデックス・キーノート・スピーチを収めたもので、ビル・ゲーツ氏はマイクロソフトの商品名を一切口にせずに、10年後のコンピュータ環境を、サスペンス映画仕立てで紹介している。
 この映画には、財布兼用PC、タブレット型PC、テレビ電話、音楽や映像のオンデマンド(個別要求)配信、テレビの追っかけ再生、電子カルテ、電子教科書などが登場する。
 スピーチの最後に、CD-ROM紹介コーナーがあり、小さく「Mosaic」が紹介されている。イリノイ大学の学生が作った最初のブラウザーである。マイクロソフトは、この翌年1995年11月に、マイクロソフト・ネットワーク(MSN)がインターネットを駆逐するのではなく、「インターネットの中で我々も生きていく」という大宣言を行った。翌年3月、サンフランシスコで開催されたプロフェッショナル・ディベロッパー・コンファレンス(PDC)で、インターネット対応製品を続々と発表し、それが現在の「Microsoft.NET」へと繋がっている。

 当時、AT&T、コンパック、インテル、NTTなど様々な世界企業が、この種の未来ビデオを作っていたが、それらは皆、「我々はこのようなコンピュータ社会が生まれることを予測しています」というものであった。ビル・ゲーツ氏のキーノートには「私がこのような社会を創ります」という迫力があった。
 IAYFは、映画や音楽だけではなく、顧客や商品などのビジネス情報も、すぐに取り出せる世界を描いているが、私は、少し狭い意味で、「得たいコンテンツを瞬時に得られる」と定義している。

空から情報が降ってくる
 IAYFを音楽の世界で実現させたのが、数年前に世界を席巻したナップスターである。聞きたいMP3ファイルを世界中から瞬時に探し出し、ダウンロードしてすぐに聞くことができた。レコード会社を震撼させ、「アメリカの10代は、誰もCDを買っていない」とまで言われたナップスター旋風は、レコード会社の訴訟により、あえなく今年、倒産で幕が下りた。

 私が考えるIAYFは、ナップスターの巨大データベースに、しっかりした著作権管理と課金システムを加え、ダウンロードではなく、ストリーム配信にしたものである。ストリームの場合、個人のハードディスクに一時的な書込みの痕跡は残るが、ファイルは残らない。いつも見たい映画や音楽や電子書籍は、個人のハードディスクに保存しておきたいであろうが、それも不要となる。
 その理由は、高速インターネット網が普及することにより、何時でも、何処にいても、無線で、高速に、コンテンツをインターネットから、安価で取り出せる時代が、もうすぐ到来するからである。

 昨年、9月号に「1分間は何バイト?」というタイトルで、文字と画像、音楽、映像のデータサイズの大きな違いをご紹介したが、ADSLがFTTH(ファイバー・トゥ・ザ・ホーム:家庭に光を!)に代わり、無線LANが倍速の次世代製品になれば、巨大な映像データまでも垂れ流しではなく、オンデマンド可能となる。
 テレビを垂れ流しと言うと関係者からお叱りを受けそうだが、テレビの番組時刻表がなくなり、CNN以外は単なる番組メニューになるのである。

 今、私の部屋には数百枚のLPと数百枚のCD、数百冊の本と数百冊の雑誌、そして百本のビデオテープがある。CDはすべて、MP3にした。そのために、先日、60ギガバイトのハードディスク装置(HD)を15,000円で購入した。1メガで0.25円。4分の曲なら、そのHD保管費用は1円である。60ギガに、音楽CD 1000枚が蓄積できる。
 LPのMP3化はちょっと面倒である。本や雑誌を自分でデジタル化する気は毛頭ない。これが電子書籍の弱点である。ビデオ百本は、数年以内にHDに蓄積できる。

 ソニーのホームサーバ・システム「コクーン」や、マイクロソフトのスマート・ディスプレイとホームサーバ装置が年内に出荷または披露される。無線LANと100ギガ以上のHDを備えた家庭用サーバの登場である。
 しかし、HD蓄積は、私が考えるIAYFの過渡的な形態である。マイクロソフトはホームサーバをインターネット上に置く.NETマイサービス構想を、紆余曲折はあるが推進しており、オンデマンド配信の基礎技術であるメディア・サーバも、着々と進化している。これらは、昨年12月号でご紹介した「Webサービス」のコンセプトと同様、「商品からサービスへ」、「所有から利用へ」の変革である。


 2005年、CDやビデオ、本などの個人所有は消滅し、個人のハードディスクすらも消滅し、「パチンと指を鳴らし、少しお金を払うだけで」、好きな番組や映画、音楽、読書が楽しめるのである。

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Kazuo Shimokawa [EAST Co., Ltd.]