Windows HeartBeat #6 (1993年12月)
Compaqという会社

 コンパックに行った。場所はヒューストンの市内から北西の山側に車で20分。 松ばやしの中に8階建てから3階建てのビルが並んでいる。広く静かなキャンパスの中に、CCA(Compaq Computer Administration:事務棟)、CCM(Manufacturing:製造棟)、CCD(Distribution:出荷棟)と3つに分類された建物が配置され、2階ですべての棟がつながっている。2階をぐるりと一周すると45分かかるとの事。

 1982年に半導体の老舗テキサス・インスツルメンツ社をスピンアウトした3人の技術者が、2つのビルで始めたコンパック社も、今では社員1万人、この本社だけで15、6のビルに成長した。薄いグレーに黄色い一本のラインのカンパニーカラーで統一され、冷房が効いたオフィスには、創立10周年を祝う、「Compaq Anniversary」の垂れ幕がたくさん下がっていた。

 コンパックの会社紹介を聞いたが、説明時間のほとんどが、製造技術に関するものであった。いかに品質を高めるか。いかにコストを削減するか。いかに納期を守るか。これが生産部門のすべてである。 部品点数の削減、製造工程の簡素化、品質向上の努力、組み立て時間の短縮などと並べると、日本企業の工場紹介パンフレットのキャッチフレーズのようだが、これがコンパックの製造部門のテーマである。 以前、Made in Texas と書いたテキサス州の形をした文鎮をもらったことがあるが、コンパックは、作ることにプライドを持っているようだ。

 工場はスコットランド、シンガポールにもあり、中国の北京への進出も決定している。 コスト削減の努力により、工場間のコスト格差は2分の1以内に納まっていると説明された。

 工場内を見学し、売れ筋パソコンProLinerの製造工程を見ることができた。 防塵メガネを渡され、製造ラインを間近に見た。間違って製造機械のボタン類にさわれば、ラインがとまってしまうほどの至近距離で緊張してしまった。無人化による製造ライン固定化のロスを考えてのことであろうか、日本の工場よりも人が多い気がする。NCなどの製造機械は、日本製が使われていた

 コンパック社がこのように発展し、IBM、アップルに次ぐ、コンピュータ業界第3位の地位を確立した要因を考えてみた。それは社名に表れている。「Compaq」つまりCOMPAtibilityとQualityに由来する社名のこの会社は、最初から何を成すべきかが分かっていたのである。
 IBMがその仕様を公開したPCアーキテクテャを採用した、いわゆる「互換機」ビジネスでは、「互換性」と「品質」がすべてなのである。
 品質については、前述の通り、しっかりした製造技術を持っている。その上、同じ敷地内に、設計から製造、販売そして流通まですべての部門がまとまっている点は、特筆すべきことである。日本でもあまり見られない一貫した体制がとられている。会社のすべての機能をを一ヵ所に集中することよって社内を統一し、品質を高めるのに貢献している。

 すべてが標準化された中でやることは只一つ「作る」ことである。コンパックの成功は、米国の自動車産業の衰退を反面教師として、製造を重視し、作ることに集中した結果であろう。頭デッカチのMBAが幅を利かせ、コンピュータを使った数字のゲームが優先する米国の産業にあって、ホワイトカラーとブルーカラーを同居させた創業者ロッド・キャニオンたちの考え方には敬服させられる。

 もうひとつの成功の要因である互換性について、コンパックは、インテル、マイクロソフト、ノベルというチップとオペレーティングシステムの標準となっている企業と緊密な関係を保つことによって、自分を常に標準の中心に位置付けてきた。
 これは、ビル・ゲーツ、インテルのアンディ・グローブとして、コンパック現社長のエッカード・ファイファーらがいつも口にする「コンピュータの産業構造の変化」に起因している。旧来のコンピュータは、IBMを頂点として、一つの会社で、CPUの設計から製造、OSの開発からアプリケーションソフトの作成、そして販売までを一貫体制で縦割りに行なってきた。

 パーソナルコンピュータの出現によって、その産業構造が、横割りで細分化された。 インテルを中心としたCPUの会社、NECなどの半導体会社、マイクロソフトを中心としたオペレーティングシステムの会社、ノベルを中心とするネットワークOSの会社、ロータスなどのアプリケーションソフト会社、そしてそれらをまとめて市場に提供する「組み立て会社」である。コンパックは、自らを組み立て会社と認識し、各部材の中心的なメーカと密接な関係を持ったのである。

 インテルとはあの386マシンを最初に世に出して以来の良好な関係が続いている。1986年、コンパックはIBMより先に、最新の32ビットチップである386を使用したパーソナルコンピュータを出荷したのである。それまで、IBM互換のパソコンは「クローン」と呼ばれ、IBM PCのコピーでしかなかった。「コンパック・デスクプロ386」の出現により、子供が親から自立するように、「クローン」から「互換機」へと羽ばたいたのである。

 最近の486SL/25MHz、486SX/33MHzといったCPUの優先供給や、「プラグ・アンド・プレイ技術」、「モービル・コンパニオン」の共同開発など、関係はさらに深まりつつある。
 マイクロソフトともいくつかの提携を行なっている。いちばん重要なのは93年4月の、フロントライン・パートナーシップ契約であろう。これは、将来製品を相互に協力して開発していくことを定めたワールドワイド契約で「より統合化され使いやすい次世代OSとハードの開発」、「ペン入力や音声などの拡張機能の発展」、「プラグ・アンド・プレイ製品の普及」、「ネットワーク、CD-ROM、音声機能などに対応したプレインストール・コンピュータの提供」など広範なものである。

 この契約は、マイクロソフト側からの呼びかけによるものと思う。Windows対OS/2のOS戦争の中で、IBMのジム・キャナビーノは、「ハードウェアメーカでなければOSは作れない」と、マイクロソフトを攻撃した。この提携が、それに対する回答であった。

 これだけコンピュータのハードウェアが進化し、性能が上がれば、ハードウェアとソフトウェアを切り放し、ソフトは、より抽象化された世界に向かって、独自に進化してもよいと思いがちである。しかし、マックのプラグ・アンド・プレイ機能や、ニュートンの洗練されたハードとソフトの融合にも見られるように、基本ソフトウェアであるオペレーティング・システムとハードウェアは切り離すべきものではない。マイクロソフトは、ハードウェアのパートナーとしてコンパックを選んだのである。

 日本のコンピュータメーカもコンパックを見習いつつある。「標準の中での差別化」についてのコンパックの手法は参考にしても、コンパック・クローンにはならないで欲しい。互換機はみんなで作った標準マシンである。互換機らしさの点では、デル・コンピュータの方が標準に近い。コンパックと同じ手法で台湾のエイサーも優れた製品を送り出している。NECの9821も互換機の良さを吸収している。日本IBMも「互換機です」と開き直ってPS/Vを出した。

 コンパックは、今「互換機の頂点」で、更にその先を目指している。業界2位のアップルは照準に入っているし、トップのIBMはマイクロソフトとの提携で視野に入った。 コンパックは数年後、「コンピュータの頂点」に立とうとしている。


#7「ペゾルトのマルチメディア」