Windows HeartBeat #2 (1993年8月)
歩く日本、翔ぶアジア

 この3ヵ月ほどの間に、ソウル、ハルピン、北京、ソウル、そして台北と、アジアばかり旅して回った。その中で感じたのだが、結局日本だけがパーソンルコンピュータのハードウェアやソフトウェア開発で取り残されているようだ。

 ハードウェアの面では台湾の台頭が著しい。米国の雑誌をめくって見ても、Acer、MiTAC、ViewSonicなど、台湾系の企業の広告が非常に多い。安いIBM PC系のマザーボードやディスク、各種の部品を求め、日本のパソコンメーカも、台湾企業との提携や部品購入に奔走している。今年の年末商戦で日本で販売されるパソコンの何パーセントが、台湾製のマザーボードや部品を使っているのか、調査すると凄い数字になりそうだ。

 Windowsソフトウェアでも、日本の企業は残念ながら後塵を拝している。台湾やシンガポール製のソフトウェアの方が見栄えの良いものが多い。Windowsソフトは外観の良し悪しが、直接機能の良し悪しにつながるので、「見栄え」は非常に重要である。世界の市場を相手にしているアジア各国のソフトの方が洗練されている。また、日本が先頭を走るべき漢字処理など、DBCS(*1)系の基礎技術でも遅れが目立っている。漢字フォントは、台湾のDyanLab社や香港のFontWorks社が日本で多数のOEM実績を持ち、手書き漢字認識の分野でも、台湾のPenPara社が先行している。
 ユーザという立場から見ても、中国、韓国、台湾にはIBM PC系のパソコンが溢れているが、そこで稼働しているOSは米国版のDOSであり、米国版のMicorsoft Windowsである。 確かに、ハングルWindowsや中国簡体字版Windowsも出荷されているが、実際の現場では世界標準のパソコンに世界標準のOSをそのまま搭載しているケースが多い。韓国、台湾、そして特にシンガポールは英語教育が充実しており、英語に対する抵抗感が少ない。 そのため、英語版のソフトで事が足りてしまっているのである。

 なぜこんな状況になったのだろうか。
 いちばんの問題は、日本に国内市場があったためだと思う。国内にパーソナルコンピュータの市場がなければ良かったなどというつもりはないが、台湾も韓国もシンガポールも、国内市場が小さいため、コンピュータ関連企業はすべて輸出産業としてなりたっている。最大の市場である米国で成功するためには、IBMが10数年前に仕様を公開し、世界標準となったIBM PCをいかに低価格で生産するかが鍵となる。

 日本のパソコンメーカが、その有り余る技術力にものをいわせて、「我が社のキーボードには、こんな特殊キーまでついています。 我が社のモニターはこんな解像度にも対応しています」と、狭い日本市場でのハードウェアの差別化に奔走していた時期に、アジアの国々は必死に標準の中での戦いをくり広げていたのである。 日本のソフトウェア開発も国内市場に安住し、またこのハードウェアの差別化に巻き込まれて、真に得るべき技術が身につかなかった面がある。

 ソフトウェアの立ち遅れには、さらにもう一つの要因がある。それは、英語教育の遅れである。アジア諸国のソフトウェア技術者は、英文のWindows Programmer's Reference Manual(*2)を読み、最新の米国版Cコンパイラを使ってソフトウェアを作成している。 シンガポールは、その英語力で米国のソフトウェア企業を誘致し、多数のパソコンソフトウェア会社がアジア圏の開発拠点を設けている。日本の技術者の大半は、英語の技術書が理解できず、また半年も待てば立派に日本語に訳されたマニュアルや、日本語ヘルプ(*3)付きのコンパイラが手に入るため、それを待ってしまう。最新のWindowsソフトウェアの開発では、このギャップは半年では済まない。

 日本語マニュアルでは、訳者の技術力の問題か、難しい箇所ほど明確に書かれていない。何より最新の技術情報を知ろうとしない技術者が育ってしまい、米国の技術者と対等に議論のできるWindows技術者など皆無に近い。技術的な疑問点があれば、CompuServe(*4)のMicrosoftフォーラムに質問すれば即答してくれるのに、英作文をして質問を出す力を持っていないのである。CompuServeには、多数のC言語のサンプルソースプログラムや、良質のシェアウェア(*5)、体験版ソフトなどが入っているが、それらを取り出して勉強するだけの気構えも、日本のWindows技術者は残念ながら持ち合わせていないようである。
 これは、技術者個人の問題ではなく、日本のソフトウェア会社の生い立ちと、経営者のソフトウェアに対する考え方の問題でもあると思う。

 5月、晴海のビジネスショウでは、台湾のPC互換機メーカMiTAC社、デジタルフォントの雄DynaLab社、そしてシンガポールのマルチメディアボードメーカとして世界一のシェアを持つCreative社が大きなブースを構えていた。世界市場や、日本のOEM市場での実績を踏まえ、日本市場にいよいよ進出してきたのだ。
 6月、台湾最大のコンピュータショウComputex台北では、広い会場にPC互換機のマザーボード、LANボード、マルチメディアボード、そして台湾のお家芸であるプラスチックの筐体などが所狭しと並べられ、技術集約度の高いノート型パソコンなど20社以上が出展していた。

 キーボードも多数展示されていたが、自国の漢字を入力するために、漢字の「へん」や「つくり」などの要素文字を刻印したキーボードは、広い会場内でたった1個しかお目にかかれなかった。独自のアーキテクチャなどどこにもない。オフコンもない。専用ワープロもない。皆、ベクトルがIBM PCに向かって揃っている。これでは日本の企業は当分かなわないと思った。
 台湾、シンガポール、韓国、香港の昇龍は元気に世界の空を翔びまわっており、タイ、マレーシア、ベトナムなどの小龍も動きはじめた。巨大な親龍も4000年の眠りから目覚めつつある。やんちゃな孫龍は飛ぶのに疲れて少し歩きはじめたようだ。

(*1)DBCS Double Byte Character Set 2バイト文字セット
 欧米など、1バイトで文字が表現できるアルファベット文字圏に対して、漢字などを使用し2バイトコードで文字を表現することをDBCSという。 漢字を使用する国は、日本、中国、台湾、韓国の4ヶ国。

(*2)Windows Programmer's Reference Manual
Windowsソフトウェアを開発するための機能を記述した仕様書
 Windowsソフトウェアの開発には、700種類以上のAPI(アプリケーションプログラムインタフェース)と呼ばれる機能を使用するが、その機能や使い方を説明した資料。

(*3)コンパイラのヘルプWindowsの機能をヘルプ形式で説明
 ヘルプは、Windowsアプリケーションソフトで、その使い方の説明などで使われているが、コンパイラでのヘルプは、APIなどが説明されている。

(*4)CompuServe 米国最大のパソコン通信サービス
 日本では、ニフティサーブ、PC-VAN、日経MIXなどがある。ニフティ経由でCompuServeへのアクセスが簡単にできる。
(*5)シェアウェア パソコン通信などで配布される有償ソフトウェア

 個人で作成したものが主体のため、小規模のものが多い。ユーザの意見を反映させて、仕様を練り上げることができるので、洗練されたものが目につく。


#3「小説Windows World Expo」