Windows HeartBeat #16 (1995年2月)
実録Comdex 94

 はじめは小さなトラブルだった。1994年11月14日、秋のコムデックス初日のキーノートでNicrosoft社の会長が「Information On My Fingertips 2005」つまり、2005年までに、「世界のすべての情報産業を私の指一本で思い通りにコントロールします」という方針を発表した。その際、数名の地味なダークブルーのスーツを着た聴衆が、大きな声で「ブー」とブーイングしたのである。
 この背広姿の連中が、Nicrosoftと対峙しているWBM社の社員であることを、熱心に聞き入っていた1万人の聴衆は知っていた。

 この数年、Nicrosoft社とWBM社は、コンピュータ産業の覇権を巡って、激しいビジネス上の戦いをくり広げている。一昨年のコムデックスではラスベガスのホテル街がNicrosoftの基本ソフトDows 3.1で埋めつくされた。去年は、WBM、Mapple、Motoraの3社が推進するPowerQCチップが勝利をおさめた。今年は、大きな目玉商品がないため、このキーノートでのNicrosoftの方針演説に話題が集まった。世界の趨勢は、Nicrosoftの若い会長に情報産業の未来を託そうという雰囲気に流れている。これに対して、WBM社としても老舗の意地と誇りで、何とか1960年代、70年代とおなじ地位を取り戻そうと躍起になっている。

 このようなコンピュータ産業界の動向を聴衆の誰もが知っているので、このブーイングで会場は一瞬静まりかえった。

 この張りつめた空気の中で、ことしのコムデックスは、全世界から19万人を集めて開催された。
 日本から来た連中は、2日目の15日夕方から、ラスベガスのメインストリートであるザ・ストリップと、街を南北に二分するフラミンゴ・ロードの角にあるフラミンゴヒルトン・ホテルの2階で、パーティーを開いていた。パーティーが始まってちょうど1時間後の午後6時、近くのトレジャーアイランド・ホテルから火の手があがった。銃声も聞こえてくる。

 フラミンゴ・ロードを隔ててヒルトンの南にたつバリーズ・ホテルに陣取っているWBM社が、Nicrosoft側の宿であるミラージュ・ホテルに偵察を出し、Nicrosoftの警備隊と衝突したのである。パーティーに参加した連中も、最初のうちは窓から身をのりだして面白半分に見ていた。

 参加者のひとりで、世界規模の情報集配会社IDJの副社長である多摩伊が、携帯電話で本社と連絡を取り、状況を報告してくれた。それによると、この戦いは小競り合いでは終わりそうにないというのである。ラスベガスのホテル街は、3つのグループに分かれている。北のダウンタウンのホテル街が加盟している「ダウンタウン協議会」、フラミンゴ・ロードの北側、ザ・ストリップに面した「ストリップ振興会」、そして今年オープンしたMGMグランドホテルを中心とした、「MGMコンソーシアム」である。ストリップ振興会には、サンズ、ミラージュ、トレジャーアイランド、インペリアルパレス、サーカスサーカス、ベガスヒルトンなど、いま繁栄を誇っているホテルが参加している。MGMコンソーシアムには、MGMグランド、トロピカーナ、エクスキャリバー、アラジン、ピラミッド、バリーズなどのホテルが加盟しており、何とか繁華街を南に移動しようと狙っている。フラミンゴ・ロード沿いのフラミンゴヒルトン、シーザーズパレスは中立を保つという勢力分布である。このホテル間の南北対立に、Nicrosoft、WBMの争いが飛び火したのである。Nicrosoft側には最大勢力であるストリップ振興会がつき、WBMはMGMコンソーシアムと結託して一世代先の覇権を狙っている。このままでは、日本人団体客の常宿であるフラミンゴヒルトンが戦場となる、と多摩伊が説明した。

 この説明の間にも、戦闘は拡大してきた模様で、フラミンゴヒルトンの周囲は騒然としている。パーティーの参加者たちも、どうやってこの戦場から逃げ出すかでパニックになりつつある。深読みで知られる外資系企業の取締役である早見は、「私はこうなることを予想していました。これから車でロスに逃れます。2、3人なら乗れますよ。と誘っている」。米国在住のテッド埼玉は、「僕も車を持っています」と駐車場に降りる暗い階段で足をすべらせて骨折してしまった。

 このパーティーの主催者であるコンピュータ新聞社の由和歌は、末蔵、和気などの主要メンバーと対策を相談している。ラスベガスでは日本での上下関係や会社の規模などとはまったく違った序列が存在する。「コムデックス何年」、つまり何回コムデックスに行ったかという力関係である。前人未到のコムデックス15年を誇る由和歌には、ラスベガスでは誰も逆らえない。彼が13番といえば、たとえそれがホテルにたどり着くのに1時間待たねばならないシャトルバスであっても、日本人は皆、13番のバスを待つのである。

 「多摩伊、お前こっちのバイス(副社長)だろ。すぐ本社に電話して救援機の1台くらい送ってもらえよ」と由和歌が多摩伊につめ寄る。

 Nicrosoft社の先行隊長を務める降河が部下を連れて救出にきてくれた。「ここはもうすぐ戦場となります。皆さんを我が社の司令部があるミラージュにお連れします」と説明する。しかし誰も動こうとはしない。降河が好意で来てくれたことには皆、感謝しているが、今動くと完全にNicrosoft派と見なされてしまう。それに司令部はWBM側の攻撃目標だし、空港はMGMコンソーシアムの縄張りである。皆、今の時点ではNicorsoft側の勝利を確信できないのである。

 降河の部下で、苗字がカタカナという変わった家系の出であるテラ田と、ラテン系の血が流れているため、苗字に英語が混じったO潟がひとりひとり説得してまわり、数人が降河の影に隠れた。

 「あの2社の喧嘩がはじまったら、私は立場がなくなってしまう。どちらの陣営につくかなど今決められない。業界のドン、意志田先生のように"私はインターネット派です"と僕も云おうかな」と教育者である和気はつぶやいている。その名の通り、和気藹藹とした業界を望む彼とって、この選択は酷である。

 末蔵とて思いは同じである。1000名以上社員を抱える会社の役員として、どちらか一方を選ぶのはカケである。そんな中で、高葦先生だけは「これからバリーズに行きます。Warp/3のβ版がもらえるんですよ」と、さすがに、趣味はソフトウェア鑑賞というだけあって、いつもの通りメガネの奥のやさしい目が笑っている。

 「和歌ちゃん、何とかしてよ」と和気は由和歌に判断を委ねている。「先生、それではこうしましょう」と由和歌が腹を決めたようだ。「降河さんと一緒にミラージュに行きましょう。戦闘が激しいので充分注意してください。数日後、サンフランシスコにたどり着けたら"七輪"でこのパーティーの続きをやりましょう。合言葉は"七輪で燃え上がろうぜ"です」。

 外ではホテル間の対決がエスカレートしている。サーカスサーカスに陣取るレンジャー部隊が、ブランコや梯子といういつもの装備を持って、集結している。インペリアルパレスからは、300台ほどのクラシックカーにまたがった中国の武将達がザ・ストリップに並び、バリーズに突入する態勢である。トレジャーアイランドでは海賊達が戦闘準備に入った。ミラージュからはジークフロイド&ロイに連れられて、白いトラが姿をあらわした。ストリップ振興会側は戦闘態勢が整ったようだ。

 対する、MGMコンソーシアム陣営は、人海戦術ではなく最新のハイテク機器を使っている。ピラミッドの天高く垂直にそびえるサーチライトがみるみる斜めになり、光が白から赤に変わっていく。レーザー光線だ。ミラージュは、金色のガラスで光を跳ね返したが、サンズは燃え始めた。それでも、サンズ地下のマルチメディア展示場では大音響が鳴り響いている。「俺達ぜんぜん関係ないもん」とばかりに若い連中が3Dゲームやパソコンシンセで遊んでいる。

 エクスキャリバーは剣を抜き、ミラージュに照準を合わせた。剣を飛ばすつもりらしい。
 フラミンゴヒルトンの巨大なフラミンゴが突然、大空へ舞い上がった。そうかこいつは生きていたんだ。どうりで夜になるとネオンの鼓動を輝かせていたっけ。ピンクに光るフラミンゴはゆっくりと白亜の殿堂シーザーズパレスの上を旋回している。すると、シーザーズパレスに最近作られた、プラネットハリウッドの天球儀が勢いよく回り始めた。スポットライトに照らされた青い球にひびが入り、中からフラミンゴの雛鳥が出てきた。これは卵だったんだ。フラミンゴの親子は、戦闘から逃れて暗い夜空に吸い込まれて行った。

 WBMの司令部があるバリーズの入り口が、今回のコムデックスに合わせて改築され、筒状の動く舗道が付いている。舗道につけられた10個ほどの半円の柱に蒼い光がともり脈打ちはじめた。タイムトンネルなのだ。そこから、時空をワープしてスタートレックの宇宙船エンタープライズ号がWBM救援のために、勇姿をあらわした。こんな秘密兵器が隠されていたのだ。だれもが、これでWBMの勝利を確信した。その時である、今までなりをひそめていたストリップ振興会の雄ベガスヒルトンが、側面につけていた長さ5メートルのあの真紅の手裏剣をエンタープライズ目がけて飛ばしたのである。

 シーザーズパレスの前庭に並ぶ天使達が、警報のファンファーレをラスベガスの夜空に鳴り響かせている。
 リーン、リーン。ここで目が覚めた。砂漠の盆地であるラスベガスの朝は寒いが、空は青く晴れわたり、空気も澄んでいる。はるか彼方のコロラド台地の山なみが美しい。

 爽快である。妙な夢をみたものだ。さあ、今日も一生懸命カタログ集めに精を出すか。


#17「よーい、ドン」